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志度寺から西に600m、旧讃岐街道を行くと右手に地蔵寺があります。真言宗善通寺派の寺院で、近くにある四国八十八箇所霊場「志度寺」の奥の院とされ、室町時代前期の創建とも伝えられます。
シンパクは、寺伝によれば、「志度寺本堂の国重要文化財・十一面観音像を彫刻した残り木から芽を出したものと言われる。枝が上部で張り、幹が高く捻れて、一見して龍が天に登る様な相をしているので“柏竜”“昇竜柏”の別名がある。」とあります。
シンパクの木は、元は境内の東西に2本あり、「夫婦柏」と呼ばれていましたが、西側の柏が天保年間の落雷で樹中に空洞ができ、昭和9年の室戸台風で枝がもぎ取られるなどして傾きが段々ひどくなり、倒れる恐れが出てきたため、西側の柏は昭和58年1月29日やむなく伐採されました。
またこの地は平賀源内(ひらがげんない)の生まれ故郷です。平賀源内は江戸時代中期の博物学者・作家・画家・陶芸家・発明家として知られており、「エレキテル」の発明家として有名です。生家は高松藩の足軽身分で、藩の蔵番の子として志度町に生まれています。植物学の方では、「ホルトノキ」の命名者として知られていますが、非常に多才な人物で「日本のダビンチ」といでしたが、最後は罪により牢屋で死んでいます。
お墓が志度寺の前の自性院境内にあり、平賀源内記念館が志度寺からこの地蔵寺に来るまでにあります。また旧邸が真覚寺(のクスノキ)の傍にあります。
志度寺は「志度寺のクスノキ」で紹介しています。
(HP管理者) |