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三十三間堂から東に坂道を上ると真言宗智山派総本山・智積院(ちしゃくいん)に突き当たります。このお寺の左側にある女坂と呼ばれる坂道を東に登ると、京都女子高校の校門前に新日吉神宮の鳥居が見えます。いつ行っても女子大の女学生に出会える、ちょっとだけ心弾む楽しい道です。
新日吉(いまひえ)神宮は、永暦元年(1160年)後白河法皇がその御所法住寺(ほうじゅうじ)内に比叡山坂本の日吉山王七社(日吉大社)を勧請したことに始まります。祭神として、後白河法皇のほか、山王七柱を祀り、酒造、医薬、縁結びの神として信仰を集めています。
当初は智積院南側に創建されたものの、明治30年(1897年)に現在の場所に移っています。古くから朝廷の崇敬が厚く、上皇の御幸は百八度に及んだとされ、数多くの天皇の遺物、宸筆(しんぴつ)を蔵しています。
スダジイの古木は本殿裏にあり、よく張った根が魅力です。明治に移築する以前からあったものと思われます。江戸時代は豊臣秀吉を祀ることが禁止されましたが、密かに太閤さんを信仰する都の人々が集ったのが新日吉神宮でした。ここにある樹下社がその信仰する人々が集まった所。木下藤吉郎ですから「樹下」を「きのした」とよんでのこと。「日吉丸」、「猿」と呼ばれていたこともあってのことでしょうか。
七条駅からの途中には京都国立博物館、三十三間堂、それに養源院のヤマモモがあります。
(HP管理者) |