| (愛知県弥富市) | ●更新:2015年11月(13) |
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| ●環境省巨樹巨木林DB及び現地説明板によれば、幹周/8. 30m、樹高/18m、樹齢/600年以上。 | |
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| ●地上2mほどで3つの大きな支幹に分かれています。この幹周にしては樹高がありません。 | |
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| ●大クスの左が薬師寺の本堂で、右の楕円形の石碑が「鯏浦(うぐいうら)城址」の碑です。 | |
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| ●枝が切られている箇所もありますね。左の支幹は樹皮がなくほとんど枯れています。 | |
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| ●裏側から写したものです。 | |
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●説明板 |
| ● | 名称 : 薬師寺の大楠 | |
| ● | 所在地 : 愛知県弥富市鯏浦町上六49-1 | ○地図リンク提供:マピオン |
| ● | 撮影日 : 2015/10/4 | ![]() |
| ● | 指定 : 弥富市指定天然記念物 (S51年12月10日指定) | |
| ● | アクセス : JR又は近鉄・弥富駅から北に約600m、徒歩約10分。 【車】東名阪道・弥富ICから国道155号を南に約700m、「西中地」交差点を右折し800m。 | |
| ● | 戦国時代、ここ薬師寺の地には、このあたりに勢力のあった服部左京亮の率いる服部党に対抗するため、織田氏が築いた鯏浦(うぐいうら)城がありました。城主は信長の弟織田信興(のぶおき)でしたが、元亀元年(1570年)に服部党などの門徒勢に攻められ戦死しました。 信頼していた弟・信興を殺された信長の一揆衆に対する憎悪はふくれ上がり、これが1574年の長島一向一揆衆の大虐殺につながったといわれます。 鯏浦城跡には、信興が護持仏としていた薬師像を納めるお堂が建てられ、これが現在の薬師寺の由来とされています。 かつてこの付近が海岸線だったことから磯部の楠として有名でした。人々は、この楠の葉を薬として用い病を治したといわれ、 また一説には豊臣秀吉が舟をつないだとも伝えられているそうです。よく見ると樹皮が剥がれた大枝があり、上を見ると折れたり、切られたりしており、ほとんど枯れているようです。 JR・近鉄の弥富駅を挟んで「おみよし松」があります。 (HP管理者) |
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| No.1106 | ||