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猿丸神社のある「笠舞」という地名は、猿丸太夫が都に行くため、犀川のほとりに差し掛かった時、突風で、被っていた笠が急に舞ったことから”笠舞“の名がついたと伝えられています。神社は、猿丸太夫を祭神として奉祀しています。
由緒書きによれば、猿丸神社の創祀の由来は、三十六歌仙の一人で、小倉百人一首に「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞聴く時ぞ秋は悲しき」の作者として知られる猿丸太夫の旧跡と伝えられます。本殿には十一面観音像も安置されており、毎年8月に観音講が行われるとのこと。
境内にはケヤキの巨木が多くあり、幹周4m以上が少なくとも4本ありました。拝殿前の参道の左右にあるケヤキが大きそうですが、幹周6.3mという巨樹・巨木林DBにある巨樹は見当たりません。
猿丸太夫(さるまるだゆう、さるまるのたいふ)は、百人一首の中でも有名な歌人の一人ですが、詳細不明とされている歌人の中の1人です。「古今和歌集」にその名前が出てきますが、歌はありません。「奥山の‥‥」は古今和歌集では詠み人知らずとしてのせられています。
ちなみに、「大夫」とは五位以上の官位を得ている者の称です。むかし読んだことのある哲学者・梅原猛氏の『水底の歌』の中では、猿丸太夫を柿本人麻呂の別名とする仮説を展開しているのですが。とにかく謎だらけの人物です。
(HP管理者) |